強さと優しさ2

センチメンタルな気分の時が一番筆が進む。将棋も手がよく見える。喜怒哀楽の哀が強い人は考え事が、怒や楽が強い人は行動が得意な傾向があるのかも。

 

さて前のブログの後編を書いてないことに気付いたので、今更ながら書くことにしました。あまりやる気もないので短文です。

 

 

優しさとはなにか?

私は「人が不幸にならないよう行動すること」と考えている。

 

ここでポイントは2つ。

「行動」の質と「人」の対象だ。

 

1つ目「行動」の質について。

最初に、当たり前だが考えているだけでは優しさとは程遠い。同情するなら金をくれ、自分が例えどれだけ助けたいと思っていたとしても、対象の本人からすれば実際の行動を伴ってもらわなければ全く意味をなさない。何か事情や背景があろうと、それを汲み取ってほしいというのは甘い考えであり、行動したかどうかのみが単なる事実として後に残る。善良な精神と英雄的な行動力が合わさって優しさとなる。

 

続いて「不幸にならないよう行動する」について。

ある人が困っていた場合、何でもかんでも助けてあげることは優しさではない。何故ならばその一瞬は不幸からは逃れられるが、長い目で見た場合同様の試練が起きた時に対処できないからだ。自分が常に守るから大丈夫!という形の優しさもあるかもしれない。だが基本的には守護者としての自分がいなくなった時に不幸を避けられるように、人生全体での不幸を最小化する行動を考えて選択するのが本当の優しさなのだろうと思う。

 

 

2つ目「人」の対象について。

人は皆周りの人間に命の価値をつけている。

学校では「人間の価値は皆平等です!」などと教えられるが、どれほどの人が真に受けてるのだろうか? 上に立つ人間はその方が都合がいいのだろうが、当然そんなわけがない。優生思想に興味はないが、客観的に価値が平等ならそれに応じた人生を歩む権利だってあるはずだ。

 

人は意識的かどうかは別にして、皆周りの人間に命の価値をつけている。自分の母親とアマゾン奥地の名も知らぬ先住民、どちらの命が大事だろうか?この比較は簡単だが父親と母親だったら?、母親と彼女ならば?、彼女と全世界の人の命なら?

人や立場によって答えの割れる、もしくは簡単に答えが出せない問にこそ、その人の価値観が現れる。名作にはこの問がよく出てくるが、それは読む人自身の生き方を問いかけるからでもあるのだろう。(HUNTER×HUNTERエヴァ亜人終わりのセラフ…etc漫画ばかり)

 

 

ちなみに私も大学1回生の頃は、世界中の人々の幸せのために本気で頑張ろうとしていた。そのためのサークルも入った。だが1年で気づいた。自分は、自分と自分の周りの大切な人々が幸せならそれで十分満足なんだと。そのためならその他全てを犠牲にしても厭わない人間なんだと。

言い訳するわけではないが基本的に多くの人達はこちら側で、だからこそ無償の慈善行為をする人々が注目されるのだろう。

 

 

私には、見ず知らずの人々すべてを幸せにしようとする志はない。器も実力も余裕もない。 

 

ただこの目にとまる小さな幸せは全力で守りたい、そのための強さは欲しい、なんてことを思ったりする。

ささいな願いがどうか叶いますように。

それではまた今度。

 

 

強さと優しさ

きれいに書きすぎずゆる〜くやると言っときながら、結局ある程度校正してブログ書くのに時間かかってるのでよくないね

これからはtwitterの延長線のイメージで気軽に書き殴って行くことにします。多少文章が乱雑になるかと思いますがご容赦ください。

 

さて、前回の最後に紹介した「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きている意味がない」という言葉について今回は少し触れてみる。

 

私は人間が生きていく上で必要な要素は「強さ」と「優しさ」の2つに集約されると思っている。「強さ」は能力値、地頭、度胸などなど、「優しさ」はそのままの意味のイメージだ。人はそれぞれについてパラメータを有し、例えば「強さ」が大きいが「優しさ」は小さい人は、「仕事は出来るが他人に対してめちゃくちゃ厳しい人」となる。

このパラメータは人によって様々である。いずれの要素も人間生存上必要不可欠であるからこそ残っているわけだが、置かれた環境との関係について考えてみるとその傾向が見えてくる。

 

チンパンジーボノボ

皆さんはチンパンジーはもちろんご存知だろうが、ボノボについて耳にしたことはあるだろうか。ボノボは類人猿の一種でチンパンジーと並んでヒトにもっとも近縁な生物だ。ボノボチンパンジーは外見はそっくりだが性格がまるで違い、コンゴ川を挟んで北側に攻撃的なチンパンジー、南側に平和的なボノボが生息する。(従ってチンパン野郎という罵り言葉は列記とした侮蔑用語である)

 

ボノボチンパンジーは外見こそそっくりですが、まったく異なる性質をもっています。ボノボの特徴は「平和的」ということです。チンパンジーは発情したメスを巡ってオスが争います。オスによる子殺しや共食い、集団内での殺し合い、集団間の殺し合いがよく見られますが、ボノボにはそういう争いがほとんどありません。

古市 剛史:水の風土記 人ネットワーク│ミツカン 水の文化センター

 

さて何が彼らをそのような性質足らしめたのだろうか?以下に一つの通説を示す。外敵が多く餌も少ないコンゴ川北側に生息してるチンパンジーは生存必要性から攻撃的なオスがモテる。その一方で外敵が少なく餌も豊富な南内陸側に生息してるボノボでは、メスはオスを選り好みする余裕が生まれるため優しいオスがモテる。各世代のこの繰り返しにより、別種の性質が生まれたというものである。

 

【人間社会】

猿とヒト社会を同一視はできないが人間社会を見返してみるに、同様の傾向は見られないだろうか?

すなわち世界レベルで見れば途上国スラム街では攻撃的なギャングが幅を利かす一方で、先進国タワマンでは優しい金持ち坊ちゃんが多い傾向にある。日本の身近なレベルで見れば地方の荒れた学校ではヤンキーがカースト上位に来る一方で、都心の進学校では頭がよく優しいタイプが一目置かれる存在になる。家庭レベルでみても貧困世帯になるほどDV事件が多くなる。

すなわち生存の危機に近づくほど「強さ」が求められる一方で、危機が少なく一定程度安定している場合は「優しさ」が求められる。

私がこれまで接してきた人においても、やはり出身がある程度の階級以上の人はそれなりに優しい人が多かった。自分を性格よく優しいと自覚できる人は何だかんだで恵まれた環境にあるのだろうと思う。

 

昨今の若い人は草食男子とか物欲がないとか言われがちだが、裏を返せばそれだけ日本が裕福な世界になったということなのだろう。過去途上国が先進国になった事例でも国民性の変化は確認されている。必死に努力して強さを得なくても、それなりの体験やモノが手に入ってしまう時代。かつての昭和の人間と今の若い世代とのギャップはこの辺りにある気がする。(興味深いことにチンパンジーの方がボノボより集団協力行動は得意である)

 

国民総草食化とはいえ、特に性格の優しく育ってしまった私のようなタイプは、社会人になってもある程度優しさのある、すなわち生存に対して余裕のあるコミュニティに属することが必要になる。ブラック企業や落ち目企業に入るのは論外にはなるが、就活の際は出来るだけ安定志向ですぐには死なない企業を選んだつもりである。恋愛においても実家の太い人同士で繋がりやすいのは、ある意味当然の帰結なのだと思う。

 

【これからの社会】

今の日本では平和的な性格のままでも問題ないかと思われがちだが、この豊かな生活は何年か先に確実に終わりを告げると思う。

 

ひとまず喫緊の課題は日本円のインフレである。

日本国債の投げ売り急増、追加利上げがなければ日銀の量的緩和は半年で破綻する | グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート

詳細は上の記事を読んでもらえば分かるが、とにかく日本円の価値は低下し、物価は著しく上昇する。日本円に対する信用は低下し、ハードマネーへの回帰が起こる。

ならばドルを買えば良いのか?そうはならない。ドルの方が円よりまだましとはいえ、必ず価値が暴落する日がやってくる。以下はレイダリオ氏の本の紹介だが、覇権国としてのアメリカは衰退期に移っている。

【独自翻訳】レイダリオ新刊!投資の歴史と、帝国の栄枯盛衰について - YouTube

アメリカと中国の争いは価値観の争いでもあるので、簡単に覇権国が移るとは思わないが物事に絶対はない。既に基軸通貨としてのドルの地位を低下させようと、中国は人民元建て決済を推し進めているしつい昨日にはBRICs通貨構想が発表されていた。

 

また巷ではつみたてNISAでS&P500を長期積立しておけばいつかは必ず儲かるという風潮があるが、私はそうは思わない。米国株はたしかに40年上がり続けているが、それは1970年代にインフレ対策で上げた金利を40年かけて下げ続けているからでしかないからだ。

米国株でも日本株でも、「金融緩和があれば株価は長期的に上がる」という命題は普遍的に正しいように観測できる。ただこれからの相場は物価高騰が天井知らずになってしまうので金融緩和は出来ない。むしろ金利は高い水準で長期間維持されるだろう。

そういう状況下で株式市場はどうなるか。米国株は40年上昇相場を続けてきたのだから、その40年間より前の期間は長期の下げ相場だったということである。米国株が数十年もの間下げ相場だった期間は普通に存在する。100年の金融史を真面目に勉強すれば見えてくるのは、日本経済の失われた30年は日本特有の現象ではなく、緩和バブル崩壊後、緩和を行わないか、あるいは行えない場合に普通に起こる現象だということである。

ドラッケンミラー氏: 米国株は30年上がらない可能性 | グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート

とはいえ5月のFOMCは0.25%の利上げに留まり、今年中に利下げするのではないかという観測も出ている。これ以上金融引き締めすると経済が死んでしまうのでスタグフレーション覚悟で金融緩和を続ける可能性もある。いずれにせよ米国で1970年代で起きたような景気後退と株価暴落が起きても全く不思議ではない。何なら歴史の逆回転が始まっている今の条件下では、さらに悪化するかもしれない。日本もそこそこ終わった国だがアメリカも少しずつ終わりつつある。

 

あと平和ボケした日本人にはあまり想像がついていないのかもしれないが、アメリカと中国を軸にした戦争は近い可能性がある。中国の金準備高と外貨準備高はどんどん上がっているし、軍拡も進めている。日本もトマホーク購入、総火演一般公開中止、防衛費増額など対策は取ろうとはしている。ただ戦争はカネがないと出来ない。このままアメリカの財務状況がさらに悪化するまで待ってから仕掛けられた場合、結局ハイパーインフレになる可能性もある。

 

株債権は微妙、ドル円はだめ、人民元も買う気になれないということを考えると、価値の保存ができる資産としてこれからの時代はコモディティが強いのだろうなと思う。ゴールドが過去最高値を連日更新しているのもその部分が大きいのだろう。資源や食糧を買うのも一つの手だ。個人的に注目しているのはビットコインである。日本では取引所ハッキング事件とクソみたいな税制制度のせいでなかなか普及していないが、お金の本質を考えてみるととてつもなく素晴らしい(国家にとっては最悪の)発明だと思っている。まだボラリティが大きいのが難点ではあるが時間が経つにつれて安定していくはずだ。何事もなければ10年後には数倍に価格が上がっているだろう。政府の政策によらず、手軽に価値の保存が出来るということはこれから大きな意味を持ってくる。

 

政府は個人の資産を搾取しようとしてくる。それはインフレ政策、税金、金利引き下げなど様々な形で行われる。だが今の日本の財務状況と社会環境を考えればそうせざるを得ないのが現状であり、受け止めなければいけない現実でもある。残念ながら遠からず未来はさらにひどくなるだろう。この先の日本の未来に絶望しながらも、脱出するほどの勇気もないので、個人に出来ることは有事の際にひたすらリスクヘッジできるよう行動することしかない。将来の世代は今よりさらに昔の世代を恨むことになるのかもしれないな。願わくは予想が外れることを祈りつつも、ひとまず今のうちにいろいろな経験をしておこう。「強さ」も少しずつ身につけておかないと。

 

いつか気が向いたら「優しさ」の部分について書いてみる。それではまた今度。

 

 

 

仕事と時間

ブログ名をつけてみた。

 

ブログ名というものは書いていく内容を抽象的になるべく小さく収まるように表したものがふさわしいのだろうけど、私は特に何かテーマを絞って書くつもりはない。気ままに好きなことや感じたことを脈絡なく書いていくというイメージで、適当に名付けてみた。しばらくしてしっくりこなかったらまた変えるかも。(「振り返れば〇〇」で考えてもみたが虚無しか思い浮かばなかった)

 

 

さて今回は残業について少し思うところがあったので、自分の今の考えを整理しておくためにまとめてみることにしました。(ほぼ愚痴です)

 

今私の働いている部署では全体的にとても忙しく、私を含めほとんどの人が一月あたり残業30時間前後をつけている。これに対して他部署の人にはあまりいい顔をしない人もいる。その人たちの言い分は概ねこうだ。

「残業は悪である。残業は非効率で仕事のできない人達のやることだ。もしくはお金を貰いたいがためにわざと残っているんじゃないのか?」

 

そこまではっきり言われることはないが、そう思ってるんだろうなぁと顔から読み取れることが往々にしてある。別にその人たちが意見することを否定はしないし、部分的には正しい側面もある。だが個人的には残業という行為は善悪では一概にいえず、個人の価値観に帰属する問題なのではないかなと私は考えている。

 

一般的に、仕事量と労働時間は以下の式で表される。

 

仕事量 = 生産性 ✕ 労働時間

 

労働時間が一定値を超えた場合に残業が発生し、その説明変数は仕事量と生産性の2つである。それぞれについて見ていこう。

 

【仕事量】

絶対的な仕事量については会社の一歯車にはどうしようもない問題である。部署全体の仕事を適材適所で振り分けながら、出来るだけミスなく増やさないようにこなしていくしかない。そもそも他部署との残業格差がある事自体、会社という組織全体からみた最適化が上手くいってないことの証拠ではないのだろうか。文句を言っているホワイト部署からはどんどん人を引っこ抜いて、ブラック部署へ放り込んどけば全て解決するはずである(過激派)。

 

【生産性】

仕事の生産性には①純粋な処理スピード ②仕事へのこだわり具合の2要素が挙げられる。

 

①処理スピード

一般的に仕事を早く終わらせる人は①処理スピードが早く、仕事のデキる人だというイメージがあるため評価が高くなる(実際にその傾向はある)。

 

だがスピードは(特にJTCでは)その人のそれまでの経験、すなわち労働時間に比例する。

そのため仕事量∝生産性✕時間かつ生産性∝時間になることから、仕事量 ∝(時間)の2乗ともいえるのではなかろうか? そしてそれを踏まえると、若いうちにたくさん残業して経験を積んだほうが、全体で見ると定年までに消費できる仕事量が増え、結果的に会社の利益になっているのではないだろうか??

 

もちろんワークライフバランスが崩れないことを前提にした議論ではあるが、たくさん働きたい人に対しても画一的に残業=悪と押し付けるのはどうなのかなと思う。

 

② こだわり具合

仕事へのこだわり具合は、その人の性格と価値観によるものなのであって善悪で割り切れるものではない…と言いたいが残念ながらそうはならない。労働者は会社に労働時間を提供する代わりに付加価値を出していく義務があり、一定時間内での価値を最大化する努力が求められる。伝統工芸品を作る人間国宝のおじいちゃんとかであれば別であるが、基本的には素早く効率よく見切りをつけていくことも求められる。

 

ただしこれは短期間あたりの成果で考えた場合の話である。長期間でみた場合、「効率=善」「無駄=悪」とは言い切れない。

ある問題について繰り返し何度も考えることでその隙間が見え、常識の誤りに気づき、新しいアイデアが生まれることがある※。ごく狭い範囲の例えにはなるが、将棋のある局面を何度も思い返しているうちに、新しい手がひらめいたことはないだろうか?

仕事においても効率を追い求めすぎることは、そのようなひらめきの機会を奪ってしまう。そして長期間でみた場合、実は成果がより少なくなる可能性もありうるのだ。 (「定時で帰らせた場合の方が成果は高かった」とかの研究はこの観点が抜けていると思う。)

 

脳科学的にはダイナミック・センターコア中のA10神経群を通る回路によって生まれた感情を伴う「心」と、記憶機能を通る回路によって生まれた「考えの正当性=信念」により「考え」が生まれる。それぞれ渦巻き型の神経回路を持っており、人間の思考とは繰り返し考えることによって高まることがわかる。 (「脳に悪い7つの習慣林成之より)

 

あと個人的には、まだ頑張る余力と時間があるのに考えることを放棄して課題を諦めるという行為が、どうしても性に合わないってのがあるかもしれない。

 

まあそんなこんなで、残業=悪と脳死で決めつけられるのが少し癪だったのでいろいろと書いてみた。おそらくこの価値観は相容れない人の方が多いような気もするが、そういう観点もあるということで。

 

 

ちなみに私の座右の銘は「見切り発車」である。

(会社向けに書いたやつは「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている意味がない。」)

 

最近メンタルがぶれぶれなので次はメンタル論でも書いてみようかな。

それではまた今度。

 

 

本その1

遅くなりましたがあけましておめでとうございます。今年は精神的に大人に近づくこと、日常的に早めに準備していくことを目標にします。

 

さて正月に実家でほんタメの読書相関図を観ていて面白かったので、これまでの自分の読書遍歴をまとめてみることにしました。

また自分語りになりますが暇人な方はどうぞお付き合いください。

 

 

【〜小学6年生】

 一人っ子+ぼっち気質だったこともあり、小学生の時はただの一度も、放課後に友達と遊んだことはなかった。別にいじめられていた訳ではなく、学校では普通に友達と遊んでいたが、それより家で本を読む楽しみの方が勝っていた。なぜ読書の習慣がついたのかは定かではないが、たぶん我が家にはクリスマスにNEOの図鑑を毎年1冊ずつプレゼントしていくクソサンタがいたからだと思う。

 地元の市立図書館は1人あたり10冊/月までしか借りられないため、祖母、母のカードを拝借して月30冊弱の本を読んでいた。普通の手提げでは到底入らないため、段ボールに本を詰め込み、台車に載せて図書館内を運んでいた。司書のおばさんにこいつ何やねんみたいな顔をよくされていたっけ。

 

 

小学校低学年ではギリシャ神話、歴史漫画、シートン動物記、かいけつゾロリが特にお気に入りだった。

小学校3年生くらいからミステリー小説にハマった。たぶん「もしかしたら名探偵」(メルキー杉山)がきっかけ。
f:id:hachikanouachikanou1324:20230103175139j:image

図書館にあったシャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパン、怪人二十面相のシリーズを読み漁った。怪人二十面相シリーズといいつつも怪人二十面相が出てこない本もいくつかあって、少しだけ残酷な描写が入っていることが多い。(怪人二十面相は基本的に子どもに優しく、殺人を犯さない設定のため)

 

以下に印象に残っている巻を挙げる。

「人間豹」

敵に拉致された明智小五郎の妻が熊の着ぐるみを着せられ、毛染め薬で虎に擬された豹と戦わされる。

「大暗室」

振子ギロチンに恐怖する美少女や巨大な水槽の中で悶え苦しむ人魚が出てくる。

f:id:hachikanouachikanou1324:20230103205808j:image f:id:hachikanouachikanou1324:20230103205816j:image

この2つは小学生には少し刺激が強かったのか、今でもよく覚えている。(むしろ子ども向けにこんな描写をしていいのかという気もするが)

純粋な面白さで言えば「呪いの指紋」(二十面相)、「奇巌城」(ルパン)、「まだらの紐」(ホームズ)とかが好きだったかな、うろ覚えだけど。

 

あとは小学生にありがちなズッコケ三人組シリーズ、ひみつシリーズデルトラ・クエストとかもよく読んだが、なかでも一番好きだったのは痛快世界の冒険シリーズ。これらは全て面白かったのでおすすめだが、中でもモヒカン族の最後」、「モンテ・クリスト伯は印象に残っている。

f:id:hachikanouachikanou1324:20230103194845j:image f:id:hachikanouachikanou1324:20230103194939j:image

モヒカン族の最後」はもう内容は忘れてしまったが、子どもながらに面白かったのだけは覚えている。暇だったらまた読んでみようかな。

モンテ・クリスト伯」は附図書に映画のDVDがあって嬉しくなって観てみたけど、6時間半もあって死にそうになった。こっちはもう見なくていいや。

 

ちなみに小学校のクラブは6年生の時だけ読書クラブに入っていた。(4,5年生の頃は将棋クラブで2年間で1敗のみと我ながら無双していたが、勝利数で順位を決める欠陥システムのせいで最後は誰も相手をしてくれなくなった。今思えば、中学受験は強い同級生と将棋指したいモチベーションで頑張っていた。)

 

 

【〜中学2年生】

 市立図書館の子ども向けコーナーにあるめぼしい本はあらかた読み終わったため、大人コーナーに移動した。

 赤坂次郎や星新一も少しかじったが面白いと思えず。男子中学生らしくRPG系のドラゴンランスシリーズとダークエルフ物語にハマった。

 

ドラゴンランスシリーズ〉

ドラゴンランスシリーズはドラゴンランス戦記、ドラゴンランス伝説、セカンドジェネレーション、夏の炎の竜、魂の戦争、その他外伝から構成される。f:id:hachikanouachikanou1324:20230103225831j:image

あらすじを平たくいうと主人公であるハーフエルフのタニスが、ドワーフのフリント、人間の魔法使いであるレイストリンなど様々なメンバーと一緒に冒険していく物語である。ドラゴンランス戦記は注釈が多すぎてつまらないが、その後を綴ったドラゴンランス伝説以降は本当に面白くて夢中になっていた。男子中学生視点ではあるが、ハリーポッターよりスケールも面白さも上だったと思う。ちなみに総ページ数はハリーポッター全巻合わせた3倍くらい。

 登場人物で特にお気に入りだったのが魔法使いのレイストリン(Raistlin Majere)で、今でも時々ハンドルネームに使っている。冷血で皮肉屋の嫌われ者だったけど、最後には優しさと実力を合わせ持った存在になったのが格好良くて好きになった。厨二病真っ最中で魔法使いに憧れがあったのかもしれない。

 

ダークエルフ物語〉

 こちらもドラゴンランスに負けず劣らず、とてつもなく面白い。読む順番としてはエンターブレイン社のダークエルフ物語(全3巻)→アイスウィンド・サーガ(全5巻)→アスキー・メディアワークス社のダークエルフ物語(全4巻)である。

f:id:hachikanouachikanou1324:20230104104146j:image  f:id:hachikanouachikanou1324:20230104104255j:image  f:id:hachikanouachikanou1324:20230104104331j:image

 主人公はダークエルフのドリッズト・ドゥアーデン(Drizzt Do'Urden)。あらすじとしてはダークエルフ特有の邪悪な心を生まれながらにして持たなかったドリッズトは故郷を捨て、蛮人やドワーフの仲間たちと冒険していく…という物語である。

 彼の作中での哲学は、正しいかはさておき今の自分にも少なからず影響を残している。なかでも特に印象に残っているものを少し紹介する。

・世界の全ての者を平等にしようとする技術者たちへ 機会は誰にも平等なもので、また平等でなければならないが、志を成し遂げる力は個々の力に委ねられるべきものなのだ。(人の努力が機械にとって代わるものならば、人々は何に対して大望を抱けばいいのか?目標が失われてしまったら我々は一体何者になるのだろう?)

・いつか自分は死ぬという率直な現実を知ってこそ、本当に生きることができる。(この壮大で恐ろしい現実をきちんと理解し、心から認めなければ、誰もが無意識のうちにでもいつか自分は死ぬという恐れに囚われてしまう。避けがたい死を完全に、率直に受け入れた者だけが死の恐怖から自由になる)

・敬意は示すものであり(まず受け入れ、第一印象による判断をしない)、勝ち取るものではない

・私がマイリーキーを信奉するのはその女神こそ私が真実と呼ぶものの象徴だからだ。

 

哲学的な文章が好きなのはこの頃の影響かもしれないな。

 

 

【中学3年生〜高校生】

 ゲームにハマった。マリカ、マリパ、mocogameの「おばちゃんが跳ぶ」、がちんこシリーズをひたすら極めていて読書をほとんどしなくなった。一応とある魔術の禁書目録だけは友達に借りて読んでいたが、高校生になり大学受験期に近づくと全く本を読まなくなってしまった。

f:id:hachikanouachikanou1324:20230105145156j:image

我が家では小さい頃からゲームや漫画の類が禁止されていたため、その反動が出てしまったのかもしれない。部活で稼いだ図書カードをはたいて中古DSを手に入れたときは本当に嬉しかった。そういえばマリカのカセットを友達から借りて、未だに返してなかったな、まあいいか。

 子どものゲーム禁止についての是非は私には分からないが、ゲームは子どものコミュニティにおける一つのフリーパスの側面もあるので、完全に禁止するのは人生全体から見ると悪い影響の方が大きいと思う。経験上周りの人の多くが通ってきた道は少しでも触れておいた方が人間関係の構築に役立つし、ぼっちの時期が長いと他人と触れ合っている時間の途中でふと自分の状態に違和感を覚えてしまうことがある(私特有の性質かもしれないが)。将来子どもをもつことがあれば、ゲームの推奨はしないけど広くゆるく色んなことをさせてあげたいな。

 

 

 こうして自分の人生を振り返ってみると、読書は現実世界に満足できない時に、本の中の世界に逃げ込む行為として存在していたと思う。中学2年生までは「能動的に他人と楽しく遊ぶ」経験をほとんどしてこなかったが、3年生では休日にカラオケに3日間連続で行ってみたり毎日部活後にサッカーをしたりとそれなりに青春ぽい経験をして、本に逃げる理由がなくなったのかもしれない。ただ、明らかに読書と学業成績には相関はあり、ぎりぎり読書をしていた3年生までは学年席次24番だったのが、全くしなくなった高校生からは80番くらいに急降下してしまった。精神的なストレスも少し増えたような気もする。

 

 

大学生になってから自分の語彙力と頭の回転の悪さに愕然として、再び森見登美彦やミステリ小説を中心に読むようになったが、そちらはまた気が向いたら書こうかな。

 

それではまた今度。

 

 

 

 

2022

 

年内最後の日なので2022年を簡単に振り返ってみる。

今年はあまりにも色々なことがありすぎて、良くも悪くも転換点になった一年だった。

 

普段から日記の習慣がないので思い出せないことも多いかもしれないけど、大事な記憶は残っているはずなので将来の自分のために記しておく。

 

 

1月

友達が亡くなる。

いきなり重いが小学生からの付き合いで、中高大学の学部学科まで同じだった友人が亡くなった。基本的に僕は人見知りなので家に誰かを呼ぶことはめったになかったが、彼だけが唯一実家と京都の下宿先どちらも来たことがある奴だった。

附図書で一緒にテスト勉強してたときはいつまでこいつとの腐れ縁は続くんだろうと思ったっけ。ムカつくことも多かったし、なれなれしい関係ではなかったけど、どこかお互い認めあってるとこはあって、もっと大人になったらいつか2人でいい酒が呑めると感じていたのにな。人生何があるか本当に分からない。

 

一報を聞いてからは、2週間くらいずっとショックで仕事が全然手につかなかった。遊びやイベントも全部キャンセルした。ただ、生者に出来ることは、月並みだけど先に去っていった奴を思い出して、そいつの分まで頑張ることしかないんだよな。そうして彼がこの世に生まれてきた意味を増やしてあげることがせめてもの餞になるはず。

 

 

あと大学入学以来、初めてLINEのアイコンを変えた。正直自分の性格的には選ばない写真だったけど、そんな自分を変えたかったのと親友がいいよ!って言ってくれたので採用した。でもナルシストと思われそうなのでやっぱり来年中には変えるかも。

 

 

2〜3月

東京の父親の実家に泊まる。

従兄弟(37歳無職ニート)と物心ついてから初めて喋った。めちゃくちゃいい人なんだけど、なんというか覇気がない。弟が医者サッカー部で美人妻持ってるエリート人生だから、比べられてしんどいんだろうな、知らんけど。

あとなぜかイギリス人の作曲家兼指揮者と東京藝大卒のバイオリニストが遊びに来ていて、その場のノリでピアノを弾くことになった。微妙な空気になったのは無理やり弾かせたあなたたちのせいだからな。

 

 

 

4〜6月

三交代。

部署の製品をパイロット生産する都合で三交代に入ることになった。自分で言うのも何だが大学院まで出て、ドカタみたいな働き方するとは思わなかった。ただ元々夜型の自分には夜勤はそこまで苦ではなかったし、賃金は割高になるので割と満足していた。不定休のせいで休みが友達と全く合わないので、夜勤明けに人気店のラーメンを食べに行くことだけが楽しみだった。

 

 

7月

東京に遊びに行く。

泊まった東大卒の友人宅の机がかなり独創的だった。机の脚をなくして上から垂らした布で支えることで浮遊感を出しているらしい。よく分からんがめっちゃ使いづらそう。

f:id:hachikanouachikanou1324:20221231141859j:image

ジャン・プルーヴェ展や上野の国立西洋美術館もよかった。なぜか葛西臨海公園でキャッチボールをする。
f:id:hachikanouachikanou1324:20221231142838j:image

 

 

8月

今年一番のハイライト。

お盆に小学校の男友達との飲み会に参加。いろいろあって初恋の女の子が途中参加。

その日は何事もなく解散したが2日後に2人で会って、デートの約束をとりつける。我ながら驚きの行動力。1月の出来事があってから後悔のない選択をしようという意識があったんだと思う。今から思えば誘うかどうか2時間くらい悩みに悩んだ末、連絡した自分を褒めてあげたい。お前がいなかったらその先の未来は何もなかった。

 

9月

約束のデート。

大阪市立美術館あべのハルカスなどを巡る。

うっかり梅田ダンジョンに迷い込んだのは誤算だったが、間違いなく人生で最高の2日間だった。f:id:hachikanouachikanou1324:20221231145225j:image

 

なお結果はお察しの通り。

原因はいろいろ考えられるけど、等身大の自分で出来ることは精一杯やったので後悔はない。…というとやっぱり嘘になるけどまあしょうがないかなという気持ちはある。

少なくともこれまでは彼女のいる所を迂回して目的地へ向かうようなチキンだったので、その頃に比べたら成長は出来ていた。ただ対等に渡り合うにはまだまだ努力が足りなかった。

 

自分勝手かもしれないが自分の気持ちの1%でいいから彼女に伝わっていればいいな、困ったときはどんな時でも助けてあげたいな、元気に幸せな人生を送ってほしいななんてことを今でも思ってしまう。

 (最後フラれた後に自分の気持ちを5000字弱にまとめて送り付けたので、気持ちは伝わったかもしれないがさらに引かれたのは確実である)

 

これまで小学生からずっと彼女のことを気にかけてきたけど、もういい加減にこの辺りで自分の気持ちに区切りをつけよう。そろそろ現実を見るべき時期が来ている。大人にならなければいけない。

 

 

人生初秋田にもいった。

いぶりがっこうまし。

f:id:hachikanouachikanou1324:20221231152142j:image

 

10月

同期とブルーノ・マーズのLIVEに行く。

Locked out of heavenが素晴らしかった。

 

会社の将棋部の大会で初出場初優勝する。

周りの人は結構悔しがっていたが正直順当な結果だと思ってたのでほっと一息。

 

天満で飲み歩き。

男2人で行った日本酒飲み放題の店で、知らん女性2人と盛り上がってそのまま一晩ハシゴすることに。

学生気分でなかなか楽しかった。
f:id:hachikanouachikanou1324:20221231154102j:image

 

 

11月

学会で福岡へ。ごまさば美味かった。

 

従姉妹が結婚して同じ苗字になる。

 

12月

人生初ゴルフ。スコア172を叩き出す。

千代保稲荷へいく。

 

これ以外にも色々あったがひとまずこんな感じかな。仕事は精一杯頑張ってるけどキャパが全く追いついていない。もっと残業させてほしい。

 

2022年は総じていえば挑戦できたという意味で良い一年だった。少なくとも死ぬときの最大の後悔となりうる事案は消せたので、それだけでこの一年は意味があったといえるはず。

来年はプラス要素を増やしていきたいな。

 

それではよいお年を。

 

 

はじめに

感情の閾値が一定値を超えたときの吐き出し先や、自分の中の考えが抽象的にまとまった時の場所として書いていこうかなと思って始めました

 

あまりきれいに書きすぎようとすると時間と労力がかかりすぎるので、そこはあまり拘らないよう気をつけながらゆる〜くやっていこうと思います