強さと優しさ2
センチメンタルな気分の時が一番筆が進む。将棋も手がよく見える。喜怒哀楽の哀が強い人は考え事が、怒や楽が強い人は行動が得意な傾向があるのかも。
さて前のブログの後編を書いてないことに気付いたので、今更ながら書くことにしました。あまりやる気もないので短文です。
優しさとはなにか?
私は「人が不幸にならないよう行動すること」と考えている。
ここでポイントは2つ。
「行動」の質と「人」の対象だ。
1つ目「行動」の質について。
最初に、当たり前だが考えているだけでは優しさとは程遠い。同情するなら金をくれ、自分が例えどれだけ助けたいと思っていたとしても、対象の本人からすれば実際の行動を伴ってもらわなければ全く意味をなさない。何か事情や背景があろうと、それを汲み取ってほしいというのは甘い考えであり、行動したかどうかのみが単なる事実として後に残る。善良な精神と英雄的な行動力が合わさって優しさとなる。
続いて「不幸にならないよう行動する」について。
ある人が困っていた場合、何でもかんでも助けてあげることは優しさではない。何故ならばその一瞬は不幸からは逃れられるが、長い目で見た場合同様の試練が起きた時に対処できないからだ。自分が常に守るから大丈夫!という形の優しさもあるかもしれない。だが基本的には守護者としての自分がいなくなった時に不幸を避けられるように、人生全体での不幸を最小化する行動を考えて選択するのが本当の優しさなのだろうと思う。
2つ目「人」の対象について。
人は皆周りの人間に命の価値をつけている。
学校では「人間の価値は皆平等です!」などと教えられるが、どれほどの人が真に受けてるのだろうか? 上に立つ人間はその方が都合がいいのだろうが、当然そんなわけがない。優生思想に興味はないが、客観的に価値が平等ならそれに応じた人生を歩む権利だってあるはずだ。
人は意識的かどうかは別にして、皆周りの人間に命の価値をつけている。自分の母親とアマゾン奥地の名も知らぬ先住民、どちらの命が大事だろうか?この比較は簡単だが父親と母親だったら?、母親と彼女ならば?、彼女と全世界の人の命なら?
人や立場によって答えの割れる、もしくは簡単に答えが出せない問にこそ、その人の価値観が現れる。名作にはこの問がよく出てくるが、それは読む人自身の生き方を問いかけるからでもあるのだろう。(HUNTER×HUNTER、エヴァ、亜人、終わりのセラフ…etc漫画ばかり)
ちなみに私も大学1回生の頃は、世界中の人々の幸せのために本気で頑張ろうとしていた。そのためのサークルも入った。だが1年で気づいた。自分は、自分と自分の周りの大切な人々が幸せならそれで十分満足なんだと。そのためならその他全てを犠牲にしても厭わない人間なんだと。
言い訳するわけではないが基本的に多くの人達はこちら側で、だからこそ無償の慈善行為をする人々が注目されるのだろう。
私には、見ず知らずの人々すべてを幸せにしようとする志はない。器も実力も余裕もない。
ただこの目にとまる小さな幸せは全力で守りたい、そのための強さは欲しい、なんてことを思ったりする。
ささいな願いがどうか叶いますように。
それではまた今度。